kunirov’s diary

書きたいこと書いてます

冷凍みかん。

今週のお題「海」


どちらかといえば海より山の方に趣味領域があるので、自分にとっての海を思う時は家族で出かけた海水浴まで記憶が遡る。


海水浴での楽しみと言えば、それはもう家で準備している時からワクワクしていたもので、浮き輪を膨らましたり、水中メガネとシュノーケルを装備して水風呂に入るとか、行程の全てが楽しかった。


もちろん、準備しないで遊んでいるから叱られるわけだが。叱られるとわかっていても、身体が勝手に遊び出した。


移動の最中も楽しかった。


楽しみとして特段の思い入れがあるわけでは無いが、世間一般的に今はもう殆ど無くなっているであろう光景を思い出した。


当時、真夏の行楽電車では必ずと言って良いほど『冷凍みかん』を駅の売店で買ってもらい、程よく解けるのを待ちながら流れる景色を眺めるのが常だった。


とはいえ、じっと待っていられるわけもなく、冷凍みかんをどうやって食べるかに腐心することになる。


待ちきれずに齧ろうとしても、ガッチガチに凍りついたみかんは、ちょっと皮の表面が削れるだけで全く歯が立たなかった。


今度は手の中で解凍に注力するが、間も無く冷え切った手指が痺れてしまい、ついには額や頬に当てて、夏の暑さに火照った体温で温め始める。


次第に白い霜のついたみかんは本来の橙色を取り戻していく。


少し解け始めたら、あとは加速度的にみかんの皮が柔らかくなっていく。もう少し待てばペロンと綺麗に剥けるのに、柔らかくなったそばから爪を立てて削り始めるものだからポロポロとみかんの皮が散らばっていく。そうすると大抵、母から注意された。

これは随分幼い頃、小学生くらいの話だが、中学生にもなると逆にみかんの皮をいかに綺麗に剥くかが大事になってくる。


けれども一生懸命、皮を剥いても中の実はまだ凍っている。

だから、ひと房だけをバラすのはけっこう難儀するのだが、真ん中から半分に割れば、房ごとにバラすのは容易だ。


こうしてそれなりの苦労をして口に運んだ冷凍みかんは、まだ凍結しており、グッと噛み締めないとならなかった。


しかしもう、このみかんの存在感は口の中でアイスやシャーベットと同じくらいの氷菓なのだった。

冷たすぎてまだまだ果実の甘みや酸味を充分には感じられないものの、普通の『みかん』から数段グレードアップしたデザートだった。


立て続けに口に放り込み、冷たさを噛み締めたせいで今度はすぐに歯がキーンとした刺激に襲われ、つい首をすくめて堪えるのだが、それも冷凍みかんにつきものの行為だった。


手のひらに収まるくらいの、なんの変哲も無い、凍らせただけのみかんひとつで、海水浴に行く車内はこんなにも騒がしく楽しんでいた。


どんな話をしていたとか、トランプゲームをしたかどうかは覚えて無いが、この冷凍みかんという食べ物は僕にとって『海』と切り離せない深い縁で繋がっているんだと思う。



余談だけれど、2〜3年前にコンビニの冷凍ショーケースで『冷凍むかん』というのを見つけた時は『皮剥かんのかい!』とひとりツッコんだが、この時も、行楽電車での光景が蘇った。