kunirov’s diary

書きたいこと書いてます

ファクサイ襲来のなが~い一日。

台風一過、晴れ晴れとした夏日がまたぶり返しました。

僕はちょうど台風15号《ファクサイ》が関東直撃の日に泊まり勤務だったので、通過前の嵐の静けさから、真っ最中のゴシャ降り風雨、そして迎えた朝、台風一過のほぼすべてを味わった一日となりました。

 

 

9月8日、すでに関東直撃情報は皆の知るところ。内心の溜息吐息はいうまでもありません。とはいえ仕事は楽しくいきたい派なので、元気づけのためにいつも聞いてるGLIM SPANKYを聴きながら、やったるでモードに切り替えての「おっはよーございまぁす!」でロッカールームへ。

職場のみんなと雑談などしながら制服に着替え、コーヒーで一服。

点呼をビシッと決めたら、さぁ勤務の始まりだ!長い一日が始まるぜ・・と思いつつも、まだまだ外はそういう雰囲気ではなく、もしかしたら関東上陸はまたしてもガセネタで、進路を変更するとか、温帯低気圧になるんじゃなかろうかとか、淡い期待を持っていました。

 

この日は、わが職場に投入された期待の新人さんの実地研修を指導しながらの勤務なので、ひとりで勤務するよりも気を使います。

これまでに関わった研修生はちょっと控えめというかシャイな方が多かった印象ですが、今回の研修生は不慣れながらもグイグイ前にでる潜在力を持っているようで、今までにないタイプ。今後、大きく成長していただきたいなと、指導にも若干の熱が入ります。

 

改札窓口から見ているぶんには、昼過ぎ頃までは嵐が来るような天候ではなかったのですが、外に出て空を見ると、幾重もの厚い雲が足早に流れていた。

その雲の流れの合間にはまだ青空も見えていたが、ひとつだけ目を引く大きな雲の塊があった。あれは・・・そう「竜の巣」!言い伝えは本当だったんだ!ラピュタは本当にあったんだ!

つい先週くらいにありましたバルス祭り。その影響がまだ残っていたのでしょうか。

今更、バルス!とかラピュタ!とか、誰にも言えないお年頃になってしまった身を哀しんだことは言うまでもありません。

 

さて17時もまわり、いよいよ夕暮れ時ともなると雲の層も厚みを増してきたのか、ホーム監視モニターの画面も外の暗さを反映し、照明の光が際立ってきます。時々、雨も軽く降り始め、もうエンジェルたちも雲の上で「漏れる漏れる!」って我慢してんだろうな状態。

それにつけても、空の暗さといい、暗泥とした灰色の雲の圧は思わず「早いな…やはり来るつもりか・・・」と心の中の厨二声が漏れてなかったらいいな、という塩梅の様相を呈していた。

 

何時ころだったか覚えていないが、19時前後くらいからかなり強い雨が降り始めた。それでもまだこのくらいは今まで何度もひどい目にあわされてきた大雨強風に比べたら何のことはなかった。ホームが濡れるとか、改札口に雨が吹き込むとか、そのくらいは日常レベル。まだまだ台風の本領ではなかった。

 

だがしかし。20時ころ、JRが首都圏各線を計画運休するという情報が伝わると現場の雰囲気も一変、本格的な台風対応モードに切り替わらざるを得なくなった。

 

このころまで窓口では、明日の運行についてどうなるのか?という問い合わせが多数あり、いずれもまだ情報が足りない状況だったので、考えられるケースについてご案内するとともに、各情報を確認していただくようお願いしていた。

 

JRが明朝より運休を発表すると、当然のように「おたくらはどうするのさ?」という具体的な問いに変わってくる。JRがそういう判断をすれば、他事業者もそれに追随して判断を下すことが多い。

主要輸送機関であるJRとつながることで、首都圏および近隣圏の鉄道網が成り立つわけなので、そのJRの動向は他事業者に影響を与えざるを得ない。

 

風がやんだら走らせればいいじゃないの、と思う。

駅の窓口改札で仕事する僕らも内心、早く動かしてくれぇぇ!とは思う。

でも実際は風がやんでもすぐには運転を再開しない。

 

それは別にもったいぶっているわけでも、ぐずぐずしているわけでもなく、風が止んだら止んだでやらなくてはならないことが山積しているからだ。

 

列車の走行に影響を与える代表的な要因は地震、火災、強風そしてテロと事故ときどき停電。

 

地上を走る鉄道にとって風というのはそれくらいに大きな因子だ。それは列車走行時の安全確保という点において、強風時ならではの危険が存在するからだ。

鉄道事業者はこれらの危険をすべて安全確認したうえでなければ、営業車両を一ミリたりとも動かすことはできない。

 

確認の方法は、もちろん人海戦術

保守職員が軌道内に降りて、目視ですべてを点検する。支障があればそれを取り除き、やはり安全を確認する。

こうした自然災害時には、前夜から待機して、その他発生し得る異常事態に即対応する態勢をとっている彼らの背中は、たのもしく、大きく見える。

 

駅で運転再開を待つ間に誰しもが見たことがあるはずだ。安全ヘルメットをかぶり、ガチャガチャと工具がカチ合う騒々しい音を立てながら、ちょっと不機嫌そうな顔をしつつ列をなしている人々の間をすり抜けて行く地味なコートをまとった数人の男たちの姿を。

彼らこそが、毎日毎晩、鉄道の安全をまもり、つくるプロ技術集団「保線区」。

親方を頂点としたチーム制で一年365日、安全のために技術を磨き、現場で汗を流す、いってみればファミリー。そんなことを同期で保線転向した人に聞いたことがある。ちょっと間違えば落命するような仕事なので、緊張感は半端ないらしい。というか話を聞いてた僕のほうが緊張したくらいだ。

駅務だってそこそこ落命する危険のある仕事ではあるのだけれども、手順を間違えたり、ボーっとしてたりしなければ、そうそうそんなことは起きない。けど保守の場合は自分が気を張っていても、他の作業中に人が間違うと巻き添えを食ったりするのでシャレにならない。

 

・・・さて、そんな感じなので、たいてい運転見合わせからの復旧は発表した予定時刻よりも遅れるのが常だ。時には予定時刻の変更もある。

これが我ら駅務にとってはたまらないプレッシャーのひとつなのだ。いつ動き出すのか分からない、案内できない、お客様にはお待ちいただくしかない。・・・あぁ無能。

 

JRの発表から少し遅れて弊社の明朝の運転見合わせ情報も入電した。さっそく告知ボードを使って、お詫びとともに明日の運休情報をお知らせする。

 

この日の夜は、各社各線の運転終了時刻の繰り上げの影響もあり、20時ころまでには当駅ご利用のお客様方はほぼ帰宅完了していたようだった。ぽつりぽつりと数名の乗降があったものの、滞留客はおらず、弊社終電時刻前にはもう誰もいない状態だった。

 

肝心の天候はといえば、時刻を経るにつれて次第に悪化し、時折、壁にぶち当てるような雨音があったりして、嵐の訪れを実感できるレベルになってきた。

 

普段は始業担当者と終業担当者は交代制なんだけれど、こういう災害時などはそういった垣根は取り払われ、各自の持てる能力を発揮してチーム一丸となって事に当たる。つまりこの日終業担当だった僕は、いわゆる終車先頭と呼ばれる、終電時刻まで勤務し、翌朝の始業から勤務する、昔スタイルの勤務ダイヤとなった。

いまでもこのスタイルのところは少なくないようだけれど、ありがたいことに弊社では

終業と始業は分離している。

終車先頭になると当然、仮眠時間が削られるわけですが、これまでの自主的な訓練により短時間の仮眠にはある程度の耐性があり、また災害時の緊張からくるテンションもあってちょっとの仮眠でもすっきりと目が覚めた。(まぁ後からガツンと睡魔は来ますが。。)

 

目覚めはアラームではなくて壁にたたきつける雨のゴシャっという音だった。そのあとアラームが鳴った。トイレに行っても外から吹き付ける雨風の音と、たぶん自転車思われる何か金属製のものが倒れる音が響き、仮眠エリアの廊下はまるで時化に遭遇してしまった輸送タンカーの狭い船内を想像させた。

 

始業担当者と合流し、さっそくホームの点検作業に入るが、もう台風ど真ん中の荒れ模様で、床面はびちょんびちょん、ゴミは散乱、掲示物はビリビリに四散するという、酷い有様だった。片付けながら、安全確認し、機器類の異常がないのを確認。助役も加わり、構内点検後、駅のシャッターを開放するが、あまりにも風雨が強いためシャッターも全開にせず中途のところで止めざるを得ない状態だった。

 

昨日のうちに、早朝からの運転見合わせを告知し、報道機関にも通知、交通情報にも反映されているので、さすがにいつもの常連の旅客はいなかった。

 

しかし。

驚くなかれ。

始業一番、「本当に朝は運転見合わせなのか?」との問い合わせがあった。それも、外に出るのもためらわれるような、傘が一瞬でオチョコになってしまうような、そんなテレビ移り映えする状況で、年配の男性が、ひとりで。

 

もちろんそれはお客様の判断で自由なことなのだが、台風が来ると「ちょっと畑の様子を見てくる」とか「ちょっと船の様子を・・」「ちょっと川の様子を・・」といった、ちょっと確認してくる系の行動をとった結果、不幸にも亡くなられたり、けがをされたりする方々を彷彿とさせた。

なんでそこまでして、確認する必要があるのか、僕には到底分からない。何か理由があるのかもしれないけど。

 

鉄道は「こんな荒れた天気なのによく来てくださいましたね!さぁさぁどうぞ、あなたのために始発列車を貸し切りにして特別運行いたしますよ!」なんてことはしない。早く来たからといって、何かがあるわけじゃない。人が来ないときに来たからって何か特別なことがあるわけじゃない。鉄道員が考えているのは、どうやって無事に、事故無く、安全かつ快適にお客様を輸送できるか?ということだけだ。しかも定時運行という前提付きで。だからいっそう、なんでそんなことをわざわざ確認しに来たのか、問い合わせの意図が僕らには理解不能だった。

言い方が良くないかもしれないが、理解不能だからと言って拒否するわけじゃない。こういう時は、意図は理解不能だけれど理解不能のまま答える。「はい、見合わせです」と。その確認をした後、その方がどうなったかまでは知らない。

 

そんなスタートを切った9日、運転再開予定の時刻が近づくにつれて、構内でお待ちになるお客様はどんどん増えていく。ホームは風雨が吹き荒れているので出る人はいなかったが、出ていたら突風で軌道内に飛ばされる人もいただろう。

 

しかし予定時刻が近づいても、風の勢いはなかなか収まらない。そして我々にとって死亡宣告のような再開予定時刻の変更が入電、構内放送と直接対応でその旨をお知らせした。当然のことだが、構内でお待ちのお客様は一様にため息のような反応と怒りの入り混じった表情を浮かべる。

それに対して意思決定権もなにもない我々は、知っている限りの情報と知識のみでお客様の不満に応えなくてはならない。中には暴言を吐く人やいきり立つ人もいたが、それは毎度のことで、ある意味では慣れっこということもある。某ハンター漫画のキ◎アではないけれど、慣れているからって痛みを感じないわけじゃないんだよ、ってなもんではあるが。

 

我々が忘れてはならないことは、多くのお客様は、状況を理解して、仕方ないことと受け入れてくれている、ということだ。ありがたいことだ。特にこの日は研修生も所定の時刻から明けの勤務を開始したので、人格否定されるようなクレームが皆無だったことは非常に助かったと思っている。若い社員の中にはそうしたクレームによって、窓口での旅客対応に嫌気がさしてしまうことが少なくないからだ。

 

しかし、一度発した情報はそれが予定であってもお客様にとっては約束、契約並みの効力を発するもので、それが守られないとなるや約束を破られた!とばかりに怒りを隠さぬ答えようのない問い合わせ、「一体、何時何分に動かすつもりなんだよ!」というような具体的な返答を求められることも増えてくる。

もちろん我々が再開時刻を指定するなど不可能な話であり、それまでと同じような内容の説明に謝罪が多めに加えられる回答をするほか手段はないのだが。そしてまたそれが相手の怒りを増幅させることもまたアルアルなのだ。

 

外はまだ風が吹きつけていたけれど、少しずつ明るさを増し、もはや強風吹き荒れるという感じではなくなってくると、もはや「台風のため~」という理由は説得力を失い始める。近隣のバスへの振り替え乗車案内なども行い、できるだけお客様の要望に沿った、納得できる案内を目指していく。

 

この日最初の明けの勤務がこうした旅客対応に追われることとなったが、研修生はよく頑張ったと思う。慣れないご案内を、一生懸命に身を乗り出して、ツールを使いながら対応しているのを真横で見ながら、僕もお客様の対応を続けた。そして研修生は僕が使うフレーズや言葉を吸収して、次の案内へと生かしていた。

 

風速が既定の数値に近づいたのだろう。我々が対応に追われる中、あの男たちが職員用通路を通って現れた。カチャカチャと装備を鳴らしてやってきた。そう、親方を頂点としたプロ技術集団「保線区」の面々だ。

僕は心の中で「やった!あの男たちが来た!もうすぐだ!あともうちょっと頑張れば必ず電車は復旧して走り始めるんだ!」というモノローグが流れた。

 

そしてようやく、保線区による安全確認を実施する旨の連絡が入り、運転開始予定時刻が現実味を帯びてくる。しかしまだ安心できない。JR山手線で倒木が発生していたからだ。倒木も状況によっては復旧に恐ろしいほどの時間がかかることがある。すべては状況次第だ。他にも架線が切れていたり、信号障害が起きていたり、レール破断は滅多にないだろうが、線路外からの飛来物や建造物の倒壊など、地上を走る電車にとっては、こうした災害の爪痕がまた怖いのだ。

 

窓口から見える外の様子は、続々と集まるお客様の姿と、だんだんと和らいでいく風、そして明らかに爽やかな日差しだった。もはや、台風一過。いままで我慢してお待ちいただいていたお客様の表情にも段々とまだかまだかのいら立ちが見え始める。

 

ちょっと待って、もう少し、待って待って!あとちょっと!そんな願いが通じたのだろうか。安全確認は何事もなく完了し、運転開始予定時刻に少しだけ遅れて僕らにも運転再開の報が、そして構内アナウンスが流れた。

 

こんな時、海外のイケてるドラマなら拍手とか盛り上がりがあるのかもしれないが、ここは現実のニッポン。みんな抱えたフラストレーションを自動改札機にぶつけていきます。あぁ、めったに改札機は壊れないけどあなたの持ってるICは壊れやすいから気を付けてくださいね~と、心の中で呼び掛ける。時々スマホを叩きつけるようにタッチしていく人もいて、逆に心配になったりする。

 

無事に運転再開したものの、我々はまだ気が抜けないのだ。

 

なぜかというと、電車を待っているのは当駅のお客様だけではなくて、それより先の駅でも同様に早朝から待っているお客様たちがいて、始発駅から順々に乗り込むので、到着時にはほとんどすし詰め状態で乗れない、といったことが予想される。でもそれは我々鉄道係員だからわかることではなく、だれもがすぐわかることだと思うのだが。

 

案の定、勢い込んでホームに行ったはいいが、来た列車を何本もやり過ごさざるを得ず、しびれを切らせて「もうタクシーで行く!」と出場する方や文句を窓口に行って行かれる方も出てきた。

本当に申し訳ないと思う。長い間待ったのに、乗り切れないなんて話があるかと。でも実際はそうなのだ。それを我々が、来た列車には乗れませんとかちょっとしか乗れませんとか、そんなことを言えるわけがない。もしかしたら混雑してないかもしれないし。実態ではなくあくまでも予測、想像の範囲のことだからだ。

 

さらに、列車のダイヤ乱れで運転再開直後は数時間にわたって電車の来る間隔が不規則であり、場合によっては何十分も待たされるなんていうことも多い。このために我々は運転再開のあと、数時間にわたって列車の遅延と戦い続けなくてはならないのだ。

 

次の列車が今どこで、何分後には到着しということを、毎度毎度にお知らせし、お客様の個別の乗車について、現状から考えられるベストルートを案内する。

 

こうしたことを朝の4時過ぎから、次の交代者まで続けるのだが、当然こういう日は交代者がなかなか到着できないのが常である。本来の交代時間を過ぎてくるとだんだんとろれつが回りにくくなってくる。説明がモッタリしてくるのを自分でも感じたり、モノの名前を言い間違えたり、眠気は感じないが機能が低下してきているのを感じるのだ。それに外のカンカン照りもあり、構内には温かい空気が吹き込んでくる。

列車の運行状況を示すモニターは大幅な遅延で埋め尽くされており、時刻表は意味をなさない状態だった。ふぅ~。

 

11時過ぎ、ようやく到着した交代者も、すし詰めの列車に揺られてヘトヘトだった。点呼は省略し、現場引継ぎにて業務を交代。やっと一息ついたのはまもなく昼をお知らせされる時刻だった。

 

ヘロヘロになりながら家路に着く。イヤホンをつけて前日の続きを聴く。流れるのはヘトヘトのハートにご褒美のロック、GLIM SPANKY「ワイルド・サイドを行け」。

 

この日、仕事や用事で電車をご利用された皆々様、本当にお疲れさまでした。