kunirov’s diary

書きたいこと書いてます

魔法のほうきに乗って、ここまで来た。

今週のお題「わたしと乗り物」

 

少年時代の僕にとって自転車は自分の小さな生活圏から飛び出す魔法のほうきだった。

 

初めて買ってもらった自転車は、おそらく子供用の補助輪付き自転車だったことは想像に難くない。でもあんまり、というかほぼ記憶にない。それも仕方のないことで、そのころはまだ自我と現実の葛藤がなかったからだ。単純にたのしい乗り物でしかなかった。

 

自転車が魔法のほうきになったのは、ジュニアスポーツ自転車というモノを買ってもらった時だった。学校で一番仲の良かった子が持っていたものと同じ自転車が欲しくて仕方がなくて、クリスマスプレゼントで買ってもらったと思う。メタリックブルーの鮮やかな車体だった。

 

後輪が5段か6段変速になっていて、見た目はちょっとロードバイクっぽいんだけど、変速器のレバーがまるで車のシフトレバーのような形をしているシロモノだった。トップチューブに取り付けられていて、あたかもスポーツカーを運転するような気分にさせた。左右のライトが点滅するボタンもあって、これはウィンカーそのものだった。

まぁちょっとググってもらえばそのメカメカしさと少年心をくすぐったわけが分かってもらえる、かもしれない。

 

当時はちょうど反抗期に差し掛かる時期でもあったので、とにかく家から出たくて仕方がない年ごろでもあった。

親から買ってもらった自転車で親元から離れようという、甘ったれで身勝手な スタンド バイ ミー 。そいつにまたがってシャコシャコとペダルを漕いでいるといつの間にか隣町のさらに隣町の見知らぬ土地へ着いていたことが数えきれないほどあった。

 

どんどん知らない風景が広がって、訪れたことのない町の公園や、どこだかわからない団地の最上階から眺める夕日とか、なんだかそれだけで冒険した気分になって「俺ってスゲー!ひとりでこんなとこまでこれるじゃん!」という自己満足に浸っていた。こんなとこ、ってそこがどこだかわからないのに、なんだかもうものすごい遠くまで来たような、そんな感覚。まさにその時、自転車は僕を解放する魔法のほうき、望むところに連れてってくれる頼りになる相棒だった。

 

だが、夕日が訪れる頃は、つまり、各家庭では暖かくておいしい晩御飯の支度が始まるということであり、方々から今日の献立の食欲そそる香りが流れてくるということ。加えて、あたりが暗くなるにつれ増してゆく漠然とした不安によって、家への帰巣本能が強まっていく。

そして、ついさっきまでの反抗心と冒険心からの独立欲求を満たしていた「自立した俺」「成し遂げた俺」は「はやくおうちに帰りたいボク」という、お可愛い小学生に引き戻されてしまうのだった。

 

途端に不安に駆られ、いそいそと来たであろう道を戻るけれども、勢いにのって走ってきたのでその道が正しいかは分からない。うっすらと記憶をたどって進んでいく。そんな時でも自転車は決して裏切らなかった。

一生懸命ペダルを漕いでいたら、絶対帰れるから大丈夫だと信じていた。事実、地図もなしに見知らぬところへ何度行っても、必ず晩御飯の前には家に帰れていた。

 

それから僕は、何台もの自転車を乗り継いでいま現在、ここまで来た。

 

そのほとんどは日常生活の中に埋もれていったけれども、自転車に乗るたびに沸き起こるあの冒険心のような、どこまでもいけるような気持ちになるのは同じだった。それは自転車が「魔法のほうき」だという僕にとっての事実があったからだろうと思う。

 

何処までいけるか限界を知りたくて、早朝から富士山目指して西へ西へと尻が痛くなるまでペダルを漕いで漕いで漕ぎまくり、ついに力尽き、クタクタになって、家路に着いた深夜2時。いつか富士山リベンジを誓った。

受験のストレスで眠れない真夜中、家族に気づかれないようひっそりと家を出た。ただ波の音が聞きたくて海までペダルを踏んだ。埋め立て工事が続いていた13号地(お台場)から、朝日とともにみた景色は望んでいたものとは違っていたけど、いつの間にか不安な気持ちは消えていた。

電話で聞いてた彼女の悩み相談にどうにも言葉では足りなくなって、夜中の国道をひた走って会いに行った。会えば彼女の悩みをどうにかしてあげられると思っていた。人としての力のなさを思い知った。やるせなさを振り払うようにギアを上げて全速力で、人も車もいない道路を飛ぶように走った帰り道、信号の明かりがにじんで見えた。

 

思えば、僕にとって自転車は望むところに連れてってくれる魔法のほうきで、束縛やしがらみ、不安から解き放ってくれるリベレイターで、あてどもない旅の相棒だった。

 

いつしか自分自身の考え方が大人の社会に慣らされていくうちに、冒険心は内側にしぼんでいった。束縛やしがらみを、そういうものだと諦め、受け入れることが増えるうちに、ほうきの魔法は解けていった。

 

そういうもんだと、思っていた。

 

けれど。

 

僕は一年前に、最新の「ほうき」を手に入れた。

 

こいつにまたがった瞬間、僕の世界は、また一気にグンと広がった。

十数年ぶりに、ペダルを踏みこんだ。

 

グンっと進む。

 

僕の、進みたい気持ちに応えて、力強く走ってくれる。

気持ちが高ぶってきた。どこまでも漕ぎ続けたくなった。

 

 いつの間にか僕はまた、ほうきの魔法にかかっていた。

 

かつては自分自身を解放してくれるものだった。いまはそれとはちょっと違っていて、固まりかけた自分を拡大してくれる、新しい発見とか喜びをもたらすものになった。 

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きょうもまたこいつに乗ってどこに行こうか、ワクワクする。

もう、いつまでも、このほうきの魔法が解けない自分でいたいと思う。