kunirov’s diary

書きたいこと書いてます

愛車の思い出、温泉宿 

まだ車を処分する前のこと。

 

愛車のジムニーでドライブするのが楽しみだった。アイツに乗るとどんなとこでも走っていける気がして、地図も持たずに(ダッシュボードには常備されていたけど)知らない土地を巡るのが楽しかった。

 

件の温泉宿にたどり着いた経緯もじつはこの愛車の抜群の走破性のお陰だった。

 

後期の授業が始まり、日差しはやや弱まったように思えたけれど、まだまだ残暑は厳しかった9月半ば。

一限を終えて、あとはサボるのが定番だったコマだけだったので、友達とドライブに出かけた。

 

暑かったので、涼しい山方面に行くことになった。とはいえ、イメージでしゃべっているから、北の方角なら涼しかろうと、なんとなく北っぽいほうへ走り出した。

 

都心を抜けて、かれこれ二時間くらい高速を無目的にはしっていくと、辺りの景色が山奥の雰囲気になる瞬間がある。

それが下道へ降りる合図だった。たぶん東北道常磐道だった気がする。かなり開きがあるけど、走っていた時もそんな程度の認識だった。

 

見知らぬ土地に降り立ち、標識の地名を見て気になる方向へひた走る。

 

だんだん人の気配がなくなり、往来する車も僕らだけ。まだ昼下がりなのに、信じられないくらい静かだった。

 

しばらく緩やかな坂道を走っていると、道が本道と側道に分かれた。側道の方は道路脇に草が生い茂り、なにやらワイルドな雰囲気が漂っていた。その先に何があるのかは分からなかった。ただ、本道のアスファルトを何事もなく走り続けることに飽きてしまったんだと思う。僕らは無鉄砲な好奇心を抑えられなかった。

 

側道は生い茂る雑草ときどきツタのような蔓性の植物が手招きするように道にはみ出していた。

バシン、バシンと勢いよく草が車体を叩く音が響き、ついにアスファルトも砂利道に変わり、暗に期待していたオフロード走行となった。

 

さぁ、愛車ジムニーよ(流石に名前はつけていなかった)、今こそお前の本気を見せる時!

 荒れた砂利道、深く切れ込んだ轍。

グラグラ、ガンガン揺れる車内に唸り響くエンジン音。あまりの衝撃にハンドルも手放しそうになる!シフトレバーはどこいった!?

 

グヮシッとハンドルを掴み、とにかく車内で転がらないよう腹に力を込めて、酷道を上っていった。かなりの坂道で、背中はシートに張り付きそうだった。

 

道幅はどんどん狭くなり、気付いた時は開けっ放しの窓から道脇の背の高い草が勢いよく車内をかすめていった。

一度でも止まったら再スタートするのは大変そうなくらいの坂道が続いた。それに見通しのきかない山深さは、登山中なら獣道に迷い込んだ感じだろう。

オフロードのインパクトを楽しみつつも、もし、この先が無かったら?つまり行き止まりとか、最悪なのは廃道ゆえに突然の崖とか、不安が頭をよぎり始めた。

 

…退避スペースでUターンするか、このままバックで下がり続けるか。

 

退却を検討し始めた時、それまで草の海でもがいていた僕らは、どうやら稜線上に出たようだった。パッと視界が開け、青空と草の海と、その海に埋もれかけた山道が見えた。

 

ジムニーは相変わらず唸りながら坂を登ってはいるが、先ほどまでの酷い揺られ方はなかった。

 

もう行けるとこまで行ってやろうと思った。その時、友達が稜線の下方に何かを見つけた。

 

建物があるという。車もとまっているという。

 

こんな山奥に?

 

沸き起こる疑問はさておき、誰かがそこにいるなら、ここがどこで、どう進めばまともな道に行けるのか知りたかったので、とりあえずそこに行ってみることにした。

 

稜線をしばらく走ると、左手に下りていく一本道があった。道の入り口に、その先が温泉宿であることを示す看板が立っていた。迷わずそこを下っていった。砂利道で車一台分の幅しかない狭い道だった。

 

坂を下りると宿の前が渓谷に向かって景色の開けた駐車場になっていて、数台の車が停まっていたが、どれもピカピカな黒塗りの高級車だった。あの砂利道をわざわざ来るような車には見えず、そのミスマッチさにここが知る人ぞ知る秘湯なのかもしれないと、呑気な期待が膨らんでいた。

 

宿の建物は純和風の建築で、唐破風の屋根が厳かに僕らを迎えていた。

 

玄関口はガラスの引き戸だったと思う。驚くほどに磨き上げられた、曇り一つないそれには、外の青空がきれいに映り込んでいた。一瞬、中に入るのを戸惑ってしまうような清らかな雰囲気だった。

中に入るが、玄関わきのカウンターにはだれもおらず、仕方なく食堂のおばちゃんにニラレバ定食を注文するときのように「すいませ~ん」と呼び掛けた。

広い玄関口の正面は和の雰囲気でまとめられたロビー。歴史を感じる、こなれ感のある板張りの床は、これもまたピカピカに輝いていた。

 

ほどなくしてカウンター横の通路の奥から仲居さんが姿を見せた。30代くらいの小柄な女性だった。

日帰りの入浴が可能か尋ねると、快く受け付けてくださった。

 

入浴料を支払い、案内された長い廊下を進んだ。赤い絨毯が敷かれたまっすぐな廊下の先の階段を降りたところに目的の風呂場があった。

宿の雰囲気に比べて更衣室と風呂場がやけに小規模だったのが今でも不思議だ。

大人が4~5人も入ったら一杯になってしまうくらいの洗い場に、浴槽はそれこそ2~3人しか入れなさそうな狭さだ。(※追記 もしかしたらもっと狭い、家族風呂に近い狭さだった気がする。)山間の温泉はそんなものなのかもしれないと思いつつ、ガタガタのオフロード走破の疲れを癒した。

 

屋内風呂のみで露天はなかった。窓から渓谷の景色が少し見られた。渓谷というよりは青々と茂った山林を眺める感じだった。

浴室の窓際に貼りだされた案内には、秋の紅葉シーズンの渓谷がとても美しい、というようなことが書かれていて、それならまた来てみようかと思った記憶がある。こんな人里離れた秘境のようなところにある温泉宿って素敵じゃないか?と友達とふたり、素晴らしい発見に気分を良くしていた。

 

のぼせる前に湯からあがり、ロビーで一息くつろいだあと宿を出た。はじめに応対してくれた仲居さんが見送ってくださった。その時、ほかに泊まりの客がいるのか尋ねた。そう、駐車場には何台かの立派な車が停まっていて、ほかに客がいてもよさそうだったが、そうした気配が微塵もなかったのを不思議におもったからだ。

仲居さんは今日は何組かお泊りのお客様がある、と教えてくれた。だが玄関に備え付けの下駄箱は泊り客のものと思しき靴はなく、ロビーも廊下もずっと人の気配はない。さらには、僕らが入ってから帰るまで見た宿の人は、この仲居さんだけだった。

 

表に停めてある黒塗りの車たちはいったいどんな人が使っているんだろう。その謎は深まるばかりだった。さらには、来るときはなかったはずのホンダの青いシビックが玄関を出たすぐ右手に停まっていた。そのときは黒塗りだけじゃない車の人もいることにちょっとした親近感というか、ほっとした感覚もあった。

 

宿を出て車に向かうとき、年配の男性従業員の姿が見えた。仲居さん以外で初めての宿の人だ!と思いつつ、仲居さんに道を尋ねるのを忘れていたのでこの人に尋ねた。

「この坂をあがって左、ずっといくと道に出るよ」と僕らが降りてきたほうを指さしながら教えてくれた。

 

もうオフロードはお腹一杯だった僕らは、早くまともな道に戻りたくなっていた。教えてもらった通り、来た坂道を上り左手にしばらく行くと勾配が緩み、突如アスファルトの道路に出た。本当にいきなりだった。

 

揺れも収まった車内で、先ほどの温泉宿がいかに秘境感たっぷりだったか、そこに至る道の荒れ具合の酷さとそこを難なく走り抜けた愛車のすばらしさについて語り合いながら僕らのドライブは続いた。

 

さて、その日はほかには何事もなく無事帰宅し、この日訪れたあの秘境温泉宿について記録しておこうと思い、ダッシュボードから道路地図を引っ張り出した。

 

都心を抜け出て、高速を降り、一般道から例の側道のある場所付近までは地図で追えたのだが、その側道がどこにあったのか皆目見当がつかなかった。おまけに草に埋もれてしまいそうな山道はもちろん地図にはなく、おそらく通ってきたであろう地点付近の地図をくまなく探したが温泉マークのひとつもなかったのだ。おまけに宿の名前は覚えておらず、パンフレット的なものとか、そこに行ったことを示すものがなかった。これは僕にしてみたらそうとう珍しいことだった。

最近でこそ控えるようにしているが(モノが増えすぎてしまってやむを得ず。)、このころは出かけた先で観光案内だとか史跡パンフレットだとかよくもらっていただけに、行った記念になるようなものが何もないというのはほぼ初めての経験だった。

 

あれから年月が経ち、インターネットが普及するといろいろな温泉情報が検索可能となった。当然、当時の記憶を頼りにいろいろ探してはみているが、いまだにそれらしい場所は見つかっていない。

 

これでも長らく確かな記憶として覚えていたものだけ書き出してみたが、手掛かりになりそうなものは殆どない。最近は極時々、グーグルマップを開いてみたりするが。後になって思う。狐に化かされたのかな?と。

 

考えてみれば未だに不思議な温泉宿だけど、あの道を走破できるジムニーでなかったら行けなかっただろうな。

 

今はなき愛車ジムニーとの思い出はこうして今でも楽しめる冒険譚なんだってことに今更ながら気づかされた。