kunirov’s diary

書きたいこと書いてます

打ち上げ花火、癒えない傷と大切な瞬間

花火大会の季節がやってまいりました。僕は花火見るのは好きです。涼しい部屋でドーンと打ちあがるのをテレビ中継で見るのもいいですが、やはり間近で見る花火は臨場感が違います。とういうか臨場ですし。臨場っても人生根こそぎ拾ってくれるほうじゃなく。

間近で見る打ち上げ花火は、打ち上げてからの「ヒュ~ルヒュルヒュルルル~」という風切り音が、来るっ!って気分を高揚させるし、花開く時の爆発音は体の芯まで震わすような圧があって、思わず感嘆の声が漏れてしまいます。これがまたたまらんのです。うおっほぅ!

 

 

閑話休題

 

花火といえば学生時代にアルバイトに行った先でのことを思い出す。

いわゆるリゾートバイトというやつで、観光地の民宿での住み込みバイトだった。その民宿にはオーナーさんの御家族で創業者の大旦那さんがおられた。たしか90歳近い方で、普段は母屋に居て、殆ど外に出てこないので僕らバイトもその存在は話でしか聞いたことがなかった。

その地元では夏になると恒例の花火大会が開催されるのだけれど、仕事を終えてバイト仲間と花火鑑賞していたとき、大旦那さんが初めて宿の庭に姿を現し、一緒に鑑賞していた。
ついでだからと買ってきた花火セットを開けて、打ち上げ花火を見ながら線香花火を楽しむという、今考えたらなんかのPVに出てきそうなシチュエーションを楽しんでいた時のこと。
大旦那さんが突如わなわな震えだし、なにか怒声を上げ始めた。何と言っていたか僕らには判らなかったが、女将さんがなだめつつ母屋のほうへ連れて行った。大旦那の様子が気になりながらも花火を楽しんだが、翌日女将さんから事情を聞かされて何とも複雑な気分を覚えたのだった。

女将さんの話では、大旦那さんは認知症で、普段はほとんど静かに過ごしているのだけれど、前夜の花火の音と光を受けたことでどうも戦時中の空襲を思い出してしまったようだ、ということだった。
あの夜、大旦那さんが見ていたのは、平和に楽しい花火遊びではなくて、平和なはずの空から襲い来る焼夷弾の雨にすべてが焼き尽くされる光景だったのだろうか。あの夜、大旦那さんが叫んでいたのは、空襲に気づかずに遊んでいる僕ら子供たちに危険を知らせる叫びだったのだろうか。

戦後半世紀以上経っても大旦那さんの傷は癒えていなかったのだ。それを思うと今も胸の奥がズキッと痛む。


だから僕は、威勢よく華開く音と光の競演に包まれながら、こうやって毎年、花火大会を楽しめることがすごく平和で幸せなんだと気づかせてくれる、ふと大旦那さんを思い出す瞬間を大切に思っている。