kunirov’s diary

書きたいこと書いてます

愛車の思い出、温泉宿 

まだ車を処分する前のこと。

 

愛車のジムニーでドライブするのが楽しみだった。アイツに乗るとどんなとこでも走っていける気がして、地図も持たずに(ダッシュボードには常備されていたけど)知らない土地を巡るのが楽しかった。

 

件の温泉宿にたどり着いた経緯もじつはこの愛車の抜群の走破性のお陰だった。

 

後期の授業が始まり、日差しはやや弱まったように思えたけれど、まだまだ残暑は厳しかった9月半ば。

一限を終えて、あとはサボるのが定番だったコマだけだったので、友達とドライブに出かけた。

 

暑かったので、涼しい山方面に行くことになった。とはいえ、イメージでしゃべっているから、北の方角なら涼しかろうと、なんとなく北っぽいほうへ走り出した。

 

都心を抜けて、かれこれ二時間くらい高速を無目的にはしっていくと、辺りの景色が山奥の雰囲気になる瞬間がある。

それが下道へ降りる合図だった。たぶん東北道常磐道だった気がする。かなり開きがあるけど、走っていた時もそんな程度の認識だった。

 

見知らぬ土地に降り立ち、標識の地名を見て気になる方向へひた走る。

 

だんだん人の気配がなくなり、往来する車も僕らだけ。まだ昼下がりなのに、信じられないくらい静かだった。

 

しばらく緩やかな坂道を走っていると、道が本道と側道に分かれた。側道の方は道路脇に草が生い茂り、なにやらワイルドな雰囲気が漂っていた。その先に何があるのかは分からなかった。ただ、本道のアスファルトを何事もなく走り続けることに飽きてしまったんだと思う。僕らは無鉄砲な好奇心を抑えられなかった。

 

側道は生い茂る雑草ときどきツタのような蔓性の植物が手招きするように道にはみ出していた。

バシン、バシンと勢いよく草が車体を叩く音が響き、ついにアスファルトも砂利道に変わり、暗に期待していたオフロード走行となった。

 

さぁ、愛車ジムニーよ(流石に名前はつけていなかった)、今こそお前の本気を見せる時!

 荒れた砂利道、深く切れ込んだ轍。

グラグラ、ガンガン揺れる車内に唸り響くエンジン音。あまりの衝撃にハンドルも手放しそうになる!シフトレバーはどこいった!?

 

グヮシッとハンドルを掴み、とにかく車内で転がらないよう腹に力を込めて、酷道を上っていった。かなりの坂道で、背中はシートに張り付きそうだった。

 

道幅はどんどん狭くなり、気付いた時は開けっ放しの窓から道脇の背の高い草が勢いよく車内をかすめていった。

一度でも止まったら再スタートするのは大変そうなくらいの坂道が続いた。それに見通しのきかない山深さは、登山中なら獣道に迷い込んだ感じだろう。

オフロードのインパクトを楽しみつつも、もし、この先が無かったら?つまり行き止まりとか、最悪なのは廃道ゆえに突然の崖とか、不安が頭をよぎり始めた。

 

…退避スペースでUターンするか、このままバックで下がり続けるか。

 

退却を検討し始めた時、それまで草の海でもがいていた僕らは、どうやら稜線上に出たようだった。パッと視界が開け、青空と草の海と、その海に埋もれかけた山道が見えた。

 

ジムニーは相変わらず唸りながら坂を登ってはいるが、先ほどまでの酷い揺られ方はなかった。

 

もう行けるとこまで行ってやろうと思った。その時、友達が稜線の下方に何かを見つけた。

 

建物があるという。車もとまっているという。

 

こんな山奥に?

 

沸き起こる疑問はさておき、誰かがそこにいるなら、ここがどこで、どう進めばまともな道に行けるのか知りたかったので、とりあえずそこに行ってみることにした。

 

稜線をしばらく走ると、左手に下りていく一本道があった。道の入り口に、その先が温泉宿であることを示す看板が立っていた。迷わずそこを下っていった。砂利道で車一台分の幅しかない狭い道だった。

 

坂を下りると宿の前が渓谷に向かって景色の開けた駐車場になっていて、数台の車が停まっていたが、どれもピカピカな黒塗りの高級車だった。あの砂利道をわざわざ来るような車には見えず、そのミスマッチさにここが知る人ぞ知る秘湯なのかもしれないと、呑気な期待が膨らんでいた。

 

宿の建物は純和風の建築で、唐破風の屋根が厳かに僕らを迎えていた。

 

玄関口はガラスの引き戸だったと思う。驚くほどに磨き上げられた、曇り一つないそれには、外の青空がきれいに映り込んでいた。一瞬、中に入るのを戸惑ってしまうような清らかな雰囲気だった。

中に入るが、玄関わきのカウンターにはだれもおらず、仕方なく食堂のおばちゃんにニラレバ定食を注文するときのように「すいませ~ん」と呼び掛けた。

広い玄関口の正面は和の雰囲気でまとめられたロビー。歴史を感じる、こなれ感のある板張りの床は、これもまたピカピカに輝いていた。

 

ほどなくしてカウンター横の通路の奥から仲居さんが姿を見せた。30代くらいの小柄な女性だった。

日帰りの入浴が可能か尋ねると、快く受け付けてくださった。

 

入浴料を支払い、案内された長い廊下を進んだ。赤い絨毯が敷かれたまっすぐな廊下の先の階段を降りたところに目的の風呂場があった。

宿の雰囲気に比べて更衣室と風呂場がやけに小規模だったのが今でも不思議だ。

大人が4~5人も入ったら一杯になってしまうくらいの洗い場に、浴槽はそれこそ2~3人しか入れなさそうな狭さだ。(※追記 もしかしたらもっと狭い、家族風呂に近い狭さだった気がする。)山間の温泉はそんなものなのかもしれないと思いつつ、ガタガタのオフロード走破の疲れを癒した。

 

屋内風呂のみで露天はなかった。窓から渓谷の景色が少し見られた。渓谷というよりは青々と茂った山林を眺める感じだった。

浴室の窓際に貼りだされた案内には、秋の紅葉シーズンの渓谷がとても美しい、というようなことが書かれていて、それならまた来てみようかと思った記憶がある。こんな人里離れた秘境のようなところにある温泉宿って素敵じゃないか?と友達とふたり、素晴らしい発見に気分を良くしていた。

 

のぼせる前に湯からあがり、ロビーで一息くつろいだあと宿を出た。はじめに応対してくれた仲居さんが見送ってくださった。その時、ほかに泊まりの客がいるのか尋ねた。そう、駐車場には何台かの立派な車が停まっていて、ほかに客がいてもよさそうだったが、そうした気配が微塵もなかったのを不思議におもったからだ。

仲居さんは今日は何組かお泊りのお客様がある、と教えてくれた。だが玄関に備え付けの下駄箱は泊り客のものと思しき靴はなく、ロビーも廊下もずっと人の気配はない。さらには、僕らが入ってから帰るまで見た宿の人は、この仲居さんだけだった。

 

表に停めてある黒塗りの車たちはいったいどんな人が使っているんだろう。その謎は深まるばかりだった。さらには、来るときはなかったはずのホンダの青いシビックが玄関を出たすぐ右手に停まっていた。そのときは黒塗りだけじゃない車の人もいることにちょっとした親近感というか、ほっとした感覚もあった。

 

宿を出て車に向かうとき、年配の男性従業員の姿が見えた。仲居さん以外で初めての宿の人だ!と思いつつ、仲居さんに道を尋ねるのを忘れていたのでこの人に尋ねた。

「この坂をあがって左、ずっといくと道に出るよ」と僕らが降りてきたほうを指さしながら教えてくれた。

 

もうオフロードはお腹一杯だった僕らは、早くまともな道に戻りたくなっていた。教えてもらった通り、来た坂道を上り左手にしばらく行くと勾配が緩み、突如アスファルトの道路に出た。本当にいきなりだった。

 

揺れも収まった車内で、先ほどの温泉宿がいかに秘境感たっぷりだったか、そこに至る道の荒れ具合の酷さとそこを難なく走り抜けた愛車のすばらしさについて語り合いながら僕らのドライブは続いた。

 

さて、その日はほかには何事もなく無事帰宅し、この日訪れたあの秘境温泉宿について記録しておこうと思い、ダッシュボードから道路地図を引っ張り出した。

 

都心を抜け出て、高速を降り、一般道から例の側道のある場所付近までは地図で追えたのだが、その側道がどこにあったのか皆目見当がつかなかった。おまけに草に埋もれてしまいそうな山道はもちろん地図にはなく、おそらく通ってきたであろう地点付近の地図をくまなく探したが温泉マークのひとつもなかったのだ。おまけに宿の名前は覚えておらず、パンフレット的なものとか、そこに行ったことを示すものがなかった。これは僕にしてみたらそうとう珍しいことだった。

最近でこそ控えるようにしているが(モノが増えすぎてしまってやむを得ず。)、このころは出かけた先で観光案内だとか史跡パンフレットだとかよくもらっていただけに、行った記念になるようなものが何もないというのはほぼ初めての経験だった。

 

あれから年月が経ち、インターネットが普及するといろいろな温泉情報が検索可能となった。当然、当時の記憶を頼りにいろいろ探してはみているが、いまだにそれらしい場所は見つかっていない。

 

これでも長らく確かな記憶として覚えていたものだけ書き出してみたが、手掛かりになりそうなものは殆どない。最近は極時々、グーグルマップを開いてみたりするが。後になって思う。狐に化かされたのかな?と。

 

考えてみれば未だに不思議な温泉宿だけど、あの道を走破できるジムニーでなかったら行けなかっただろうな。

 

今はなき愛車ジムニーとの思い出はこうして今でも楽しめる冒険譚なんだってことに今更ながら気づかされた。

 

思い込みは怖い!

今週のお題「人生最大の危機」

 

それはとある北関東のキャンプ場へ行った時のこと。

 

トヨタランクルで若かりし僕ら男女5人わいわいのキャンプ旅行だった。僕はたいてい助手席でナビ役することが多かったんだけども、この時もそうだった。

 

訪れた危機は最終目的地のキャンプ場ではなく、その手前で休憩かねての温泉~ということでたちよった日帰り温泉施設でのこと。その施設は山中にある施設なんだけど、谷側の立地だったので駐車場からもかなり見晴らしがよい場所だった。

駐車場に車を停めるのに、バックしすぎるといけないので先に降りた自分が誘導した。

 

手招きでオーライ合図し、車の位置を確認、ちょうどの位置でストップ合図を出す。そのとき警備員の怒号が響いた。たぶん、危ない!っていうことだったと思う。

僕はストップの合図を出しながら、その声にハッとした。無意識に体が横に動いた。

 

ほんとに何かから覚めた感じがしたのだけど、後ろを振り返ると、あと一歩、いや半歩でも下がっていたら…数十メートルはあろうかという切り立った断崖に吸い込まれるように転落しただろう。

最終的に車が停止した時、バックドアのスペアタイヤがある位置はもちろん車止めを越えて後ろに突き出るのだけど、そこから先は断崖絶壁の谷底だった。自分で下がらなかったとしても、車が止まった時、僕は谷底に姿を消したことは想像に難くなかった。

 

そんな危険な場所とは思っていなかった。というか、僕自身の認識はそこに「ガードがあったはずなのに、なんで消えた?」だった。車を降りて誘導している間、僕はそこに転落防止のためのガードレールがあるものだと思い込んでいたのだ!実際には存在しなかったガードレールを、勝手に頭の中で補完し、安全だと思いこんでいた。

 

警備員の怒声がなければ、自分で落ちたか、車にどつかれて落ちたか、いずれにしても

そのまま谷底に落ちていたのを思うと、かなり冷や汗が出た。警備員には感謝しかなかった。ほかの連れは何事かわかってはいなかったようだ。なんでだろうか、人生が分岐した気がしていた。

 

ピンチを脱して生き続ける世界と僕がここで人生退場する世界。

車から降りてきた友達の姿を見ながら、もうひとつ、僕が谷底に落ちた瞬間に気づかずに、姿を消した僕を探している友達の姿がダブって見えた。

 

道中の楽しさに、ついつい油断していたのだろう。キャンプ旅行自体は楽しく過ごしたが、ふとその場面が頭をよぎり、何度も何度も冷や汗リフレインを繰り返した。

 

あとから思ったのだけど、僕が誘導していた位置が警備員の位置から見えるはずがなかった。

駐車位置に右からバック進入してハンドルを切っていたが、警備員がいたのは、僕がいた場所からちょうど車を挟んで対角線上。しかも車は大型のランクルで斜角の位置だから死角も増えていた状態だ。

さらにこの時、駐車場に入ってくる車はほかにもいた。すでに入場をしている僕らだけを注視している暇はなさそうだった。

もし僕の姿が見えたのだとしたら、それはもう一瞬だけのことだっただろう。いってみれば奇跡的に危険を察知した、ということになるのかな。

 

ほんとに今でもあの瞬間、気づいてくれた警備員には感謝しかない。

 

しかしまぁ、たかだか15センチも無いような高さのコンクリ車止めだけで、その後ろが断崖絶壁の駐車場って、よく事故が起きないものだ。

逆に、よく事故が起きるからこそ警備員も気にしてた、と思うと、ちょっと背筋が凍る。

 

そう、僕はあの時、見えない誰かに呼ばれていたのかも…と。それも二段構えという確実な方法を用意して…

押しアイス雑感

今週のお題「わたしのイチ押しアイス」

 

イチ押しアイスと言えばやはり「ガリガリ君ソーダ」になるんでしょうね~。

値段が安いのと暑いときに食べたくなるシャリシャリ感、あと微妙に内側と外側でアイスの状態が違う?内側がクラッシュ氷のような状態で、それを外側のアイスコーティングが包み込んで、ただのアイスキャンデーとは違う美味しさ、ひんやり感を満喫できるという、みんな知ってるソレがもはや自分の中ではソーダ味のアイスの基本となってしまっているくらいなんだな。

わざわざ一押しされなくてもみんな知ってるし、大好きなヤツだろうねー。不思議なのは、食べ飽きて、しばらくほかのアイスに浮気してても、やっぱこれに戻ってくるってところ。

 

でもねぇ、ガリガリ君ソーダはいいけどナポリタンはやり過ぎだわぁ~。うまいっていう人いるけど。コンポタは意外と好きって人が周りに多いんだけどね。僕はどっちも、ん~ダメだ。そのうち、うまい棒並みの味展開するんじゃないかと冷や冷やしている。

明太子味とか、焼きそば味とか、納豆味とかね。

面白いから見てみたい気はするね。

僕はソーダ味買うけど。

 

ソーダ味のアイスキャンデーといえば、昔の話だけど、友達の家のばあちゃんがくれた、ダブルソーダってのがあったのさ。

平たい棒が二本刺さってて、アイスの真ん中から縦にパキッと割ると、アラ不思議ふたり分のアイスが出来ましたよ!というやつだ。いつも中身だけくれたんで、包装を見たことはなかったんだけど、あれはダブルソーダだったね、たぶん。

夏休みが近づく暑いころ、学校の帰りに友達の家に寄るとたいていこれをくれた、懐かしいアイス。

調べたら2年前に販売終了になってた。材料のシロップを冷やし固めただけっぽい(そんなことはないだろうけど)シンプルな味と食感で、特に記憶に残ってるところはないのだけど、いまでもその家の前を通ると思い出してしまう。

 

そうだ、ピノのアロマショコラにはまってしまって、実は大量に買い込んだやつがまだ冷凍庫に何箱かあったりする。アイスに賞味期限がないとはいえ、もう2回目の夏を迎えてしまうよ・・・

いまならピノのストロベリームーンが一押し。イチゴ味というよりイチゴ感。圧倒的イチゴ感。初めて食べたとき、イチゴの粒々種が混じってるだろうな~と思ったほど。

食品工業ここに極まれり。言い過ぎか。

 

凍らせて食べる氷菓という意味では、僕は「あんず棒」を押したい。細長い小袋に甘酸っぱいアンズシロップとあんずの実が入った、ローカル感満載の駄菓子。ほんとにシロップと干しあんずだけで作られてて、自然食品といえるんじゃないでしょうか。これはほんとに駄菓子。でも夏場は必ず冷凍庫に常備する自然派アイス。

 

イチ押しどころか3押しだけど、うちはこの3種(ガリガリ君ピノ、あんず棒)の常備に加えてしろくまくんアイスやあずきバーも買い置きするアイスラバー。酷暑の夏は涼しい室内でアイスコーヒー飲みつつお気に入りのアイスを齧るのだ!至福のひと時~

 

 

 

お坊さんも大変ね

祖父祖母の法要があった。

 

暑いさなか黒づくめでいるのは、始まる前からうだるような気分になってしまうが、そこは無心に心頭滅却すれば火もまた涼し…くなれるわけもなく、じわじわと額に汗していた。

 

荘厳な仏の世界観を表現した本堂でご住職とお弟子さんが供養の読経をする間、参列した我々も不慣れながらも経文にふられたルビを目で追いながら一段弱い声で追い読みした。いつもの光景だ。

 

ひととおりの儀式も終わり、ご住職が軽い法話をされた。内容は故人への感謝の気持ちを我々はどうやって示し、伝えたらよいのか、というようなものだった。簡単に言えば(間違ってないことを祈るが)こうした供養を執り行うことを通して故人への感謝の思いが伝わりますという、まぁそうかもね、というものだった。

 

僕がなんとなく不思議に思ったのは、その法話の締めくくりに、ご住職が我々に対して 

「ありがとうございました」とおっしゃったことだ。しっくりこなかった。

 

ブッダが貧者の家に托鉢をしに行く話を思い出した。

 

托鉢って坊さんが鉢を持って一般市民から米や金銭などの布施を受けることで、このとき布施を受けた坊さんは決して「ありがとう」などとは言わない。なぜならこのとき布施をする人が救われているからだ、と僕は理解している。

場合によっては数行の経文を読誦する坊さんもいるかもしれない。でもそれは経文や供養に対しての、サービス対価として布施を行うということではないのだ。

 

托鉢の話と法要の話を同レベルで語ることは誤解を招きかねないし、僕にそれを語ることなどできないのだが、少なくとも僕にとって僧侶とは、その姿を通して仏様を感じることのできる存在であってほしいと思う。

そう思っているせいなのか、法要を執り行ったことに対して「ありがとう」と言われてしまうと、なんだかおかしな感覚に襲われてしまう。

 

自分ではできない故人の供養をして頂いてありがとう、というのは本来、我々の気持ち

であって、ご住職からありがとうと言われたら、下世話な話だがやはり商慣習としてのありがとうございました、の意味合いをちらりと感じてしまう。

 

いや、積極的にそういう意味で使ったわけではないのは分かっている。ただの習慣としてのあいさつ語だってことは分かっている。

分かっちゃいるが、ちょっとフランクすぎやしないかと思う。たまたまこのご住職が気さくな方だからというのもあるだろうが、最近は、お寺界隈の檀家減少などの運営、存続問題が顕在化しているだけに、妙に生々しく感じてしまうのだ。

 

お坊さんだって人の子、霞を食って生きるわけでなし。

なかなか難しい。

 

 

 

打ち上げ花火、癒えない傷と大切な瞬間

花火大会の季節がやってまいりました。僕は花火見るのは好きです。涼しい部屋でドーンと打ちあがるのをテレビ中継で見るのもいいですが、やはり間近で見る花火は臨場感が違います。とういうか臨場ですし。臨場っても人生根こそぎ拾ってくれるほうじゃなく。

間近で見る打ち上げ花火は、打ち上げてからの「ヒュ~ルヒュルヒュルルル~」という風切り音が、来るっ!って気分を高揚させるし、花開く時の爆発音は体の芯まで震わすような圧があって、思わず感嘆の声が漏れてしまいます。これがまたたまらんのです。うおっほぅ!

 

 

閑話休題

 

花火といえば学生時代にアルバイトに行った先でのことを思い出す。

いわゆるリゾートバイトというやつで、観光地の民宿での住み込みバイトだった。その民宿にはオーナーさんの御家族で創業者の大旦那さんがおられた。たしか90歳近い方で、普段は母屋に居て、殆ど外に出てこないので僕らバイトもその存在は話でしか聞いたことがなかった。

その地元では夏になると恒例の花火大会が開催されるのだけれど、仕事を終えてバイト仲間と花火鑑賞していたとき、大旦那さんが初めて宿の庭に姿を現し、一緒に鑑賞していた。
ついでだからと買ってきた花火セットを開けて、打ち上げ花火を見ながら線香花火を楽しむという、今考えたらなんかのPVに出てきそうなシチュエーションを楽しんでいた時のこと。
大旦那さんが突如わなわな震えだし、なにか怒声を上げ始めた。何と言っていたか僕らには判らなかったが、女将さんがなだめつつ母屋のほうへ連れて行った。大旦那の様子が気になりながらも花火を楽しんだが、翌日女将さんから事情を聞かされて何とも複雑な気分を覚えたのだった。

女将さんの話では、大旦那さんは認知症で、普段はほとんど静かに過ごしているのだけれど、前夜の花火の音と光を受けたことでどうも戦時中の空襲を思い出してしまったようだ、ということだった。
あの夜、大旦那さんが見ていたのは、平和に楽しい花火遊びではなくて、平和なはずの空から襲い来る焼夷弾の雨にすべてが焼き尽くされる光景だったのだろうか。あの夜、大旦那さんが叫んでいたのは、空襲に気づかずに遊んでいる僕ら子供たちに危険を知らせる叫びだったのだろうか。

戦後半世紀以上経っても大旦那さんの傷は癒えていなかったのだ。それを思うと今も胸の奥がズキッと痛む。


だから僕は、威勢よく華開く音と光の競演に包まれながら、こうやって毎年、花火大会を楽しめることがすごく平和で幸せなんだと気づかせてくれる、ふと大旦那さんを思い出す瞬間を大切に思っている。

NHKハートネットTV 8月31日の夜に。をみて呟く。

10代の子たちってそんなに息詰まってるの?と、10代を卒業して間もない後輩に聞いてみた。
たまたま休憩中にみたNHKの「ハートネットTV 8月31日の夜に。」という番組を見て、とてもたまらず聞いてみた。返ってきた答えはどれもなるほど、確かにそうだよねと頷けるものだった。

一番気になったのは、自己嫌悪感というのか、自分自身を否定している感じが強いこと。いろんな理由を土台にして成長したマイナスの感覚が自分の存在そのものを拒否し始めていると感じた。


こういう行き詰まり感というか息詰まり感を若者特有の~というのは容易い。とくにおっさん連中はそういうこと、言うね。
でも本当はおっさんだって息詰まっている。ただそれを気づかないようにしているだけなんだろうな。たまに爆発するおっさんもいる。結構、たくさんいる。ずるいんだよ、おっさんは。でもそうしねーと生きてけないの。たぶん。かっこ悪いけど。


居場所がないっていう声に対して、居場所ってのは自分で作るものなんだよという答えが定番なのかな。でもほんとに居場所なんてないんだな。そうそう見つかんない。僕なんかいまだに探してるくらいだ。
でも10代のひとがいうのと僕くらいの年代が言うのとじゃ深刻さは段違いなんだろうね。僕らなんかはいくらでも逃げられる。物理的に、精神的に、社会的に賢く逃げる方法を知っているから。知らない人はかなり生きづらい。
でも10代でそれを知ってる人は少ないんじゃないかな。だから逃げようがないし、ゆえに追い込まれやすい。逃げたら逃げっぱなし、逃げ癖がつくなんて言う人がいるかもしれないけど、死ぬよかよほどマシだ。

 

若い世代が生き死にかかるほど追い込まれるなんて、おっさん世代の僕らが、生まれてきたことの意味を示せてない、生きることの凄さや面白さを伝えられてない、そういう背中を見せてやれてないってことだと思う。だから無責任に頑張れなんて言えやしないんだけど、それでもなんとか生き抜いて欲しい。そんでもってそれなりの世代になったらあとからくる若い連中に示してやってほしいなって思う。自分らの上の世代は当てにならなかったけど、自分らはこうやってのりきったぜ!やればできるよ!大丈夫!ってさ。現実に後れを取りながらも、おっさん世代もなんとか、今からでも応援してる。

ごめん、なんだか取り留めないけど。

 

 

 

もどかしいよ、青空

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今週のお題〉空の写真
 
朝、目がさめると久しぶりの晴れ間だった。素直に嬉しい。雨が嫌いな訳じゃないけど、青空を見ると気分が高揚する。特に雨上がりの青空なんかは最高だ。
 
あまりにも気持ちの良い青空だと、とても爽快な気分になると同時に、この青空の全てが広すぎて僕自身の知覚する範囲に収まりきらないことに、もどかしい気分になる。
 
このもどかしさ、表現しづらくて上手く伝えられない。せっかくなので吐き出してみようと思った。
 
 
想像してみよう。
 
端が見えないほど長いテーブルに食べ切れないほどの美味しい料理が並んでいるのに、食べ切れないどころか自分の目の前にある数皿分を食べるだけで精一杯。
一番端の料理が何か知ることすら出来ないし持ち帰る事も出来ない。
 
誰でもタダで招待されるけど、パーティは今しか開いてない。席を立ったらそれがお終いの合図。
みんなとパーティーを楽しみたいし、いつでも席を立って遠くの料理をつまんでみたいし、なんならお腹が空くまで散歩もしたい。ほんとはさっきからお腹が痛くてトイレに行きたいんだ。
 
でも、この魅力的なパーティーは今だけ開かれる。いつ終わるかもわからない。すぐかもしれないし、長く続くかも。もしかしたらもうテーブルの最果てでは片付けが始まっているかも。
 
さぁトイレに行くべきか行かざるべきか。